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福岡地方裁判所 昭和55年(行ウ)5号 判決

原告 加藤英一

被告 宗像町立自由ヶ丘小学校校長 山本利一

右訴訟代理人弁護士 竹中一太郎

主文

本件訴えを却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

(請求の趣旨)

被告がする君が代斉唱強制計画処分を取消す。

二  被告(答弁書陳述擬制。後記第二の二及び三についても同じ。)

(本案前の答弁)

主文同旨。

(本案についての答弁)

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和五五年四月現在、宗像町立自由ヶ丘小学校(昭和五五年三月一九日当時の児童数八六四名)六年に在学する生徒の父であり、同校P・T・Aの一員である。

2  被告は、同年二月二〇日頃から、同校教職員に対し、「国旗、国歌についての資料」と題する文書に基づき、同年三月一九日に挙行される卒業式を目標に君が代斉唱の実施計画を示して、その準備や練習を要請したが、同校教職員は同調しなかった。

そのため、右実施計画は、結局、職員の手は借りない、式場には君が代のレコードをマイク装置で流す、その他の準備行為も校長側でするというものに変ったが、そうであっても、君が代斉唱を原告ら父兄、児童に直接強制することには変りがない。

3  前掲「国旗、国歌についての資料」においては、国旗、国歌についての文部省告示に関する記載と、指導要領に対する司法的見解として、旭川学テ最高裁判決及び伝習館福岡地裁判決の二件を挙げて、両裁判が、右学習指導要領は教育課程に関する規準の設定(機会均等の確保と全国的水準の維持)として適法なものであり、法的拘束力を持つものとして位置づけをしてくれたと述べている。

しかし、指導要領とは、それがいわゆる行政指導というものならば、行政の事実作用にすぎないので、法的拘束力も法律効果も伴わないのである。また、一般に、行政行為に公定力が存するとしても、それは法に定める要件を完全に具備することが限界であり、行為の瑕疵が軽少か明白でない程度の場合が取消の対象とされ、瑕疵が重大且つ明白の場合は無効として、暫定的にも手続的にもその公定力を認めるべきではないとされている。

4  右の「資料」と称する文書ないしメモの類が、県の資料又はその示唆により作成されたものであるか、それとも最初から宗像町独自で作成されたものであるかは、原告の関知しないところであるが、いずれにしても、本件君が代斉唱計画は県当局の指示によるものであり、右「国旗、国歌についての資料」も、町内校長会等の場で検討され、現場(学校単位)職員説得の材料として使用されたものと推察される。

5  いずれにしろ、憲法、法律の目をくぐってあるべき法治行政の姿を変え、メモ行政をされてはならない。

本件における被告のやり方は、正常な行政的適法行為として認容し得ないところである。

6  さらに、君が代斉唱問題は、憲法の教育条項以上に、信教の自由の問題ともからんでいる。我が旧憲法時代の神社神道が国教化して狂信的軍国主義の精神基盤となり、また少数派宗教の弾圧などに利用されてきたことに対する反省として、信教の自由ないし政教分離の意義、即ち、憲法一九条、二〇条、二一条等の各条項相互の深いかかわりが尚一層銘記されねばならないのである。信教の自由は、もちろん布教の自由を含む。義務教育の現場に、今ことさらに、国旗掲揚、君が代斉唱を持ち出すことは、右の神社神道の布教を手助けするのと同次元であり、思想、信条の自由の保障が絶対的な評価であることを思えば、現在教育公務員の大組織が旧来の君が代否定に一致団結していることをもって、不逞の考えとは決していえない。

7  被告は、正常な行政手続を放棄して、宗像町の住民、主として、小学校児童やP・T・Aに対し、君が代を押しつけようとしているのであるが、儀式や行事の様式は、おのずから理念を包含し、それを発露しようとするものである。

よって、自由な住民たる原告は、一介の公務員たる被告の踰越的積極行為を排除するため、本件君が代斉唱強制計画処分の取消しを求める。

二  被告の本案前の主張

1  町立小学校校長が、小学校の卒業式に際し、国歌君が代の斉唱を計画することは、行政事件訴訟法(以下「行訴法」という。)三条二項所定の行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為に該当しないから、抗告訴訟の対象とはならない。

2  昭和五五年三月一九日の卒業式は、その予定の期日に挙行され、本件口頭弁論終結当時において、既に終了している。

3  以上により、原告の本件訴えは、不適法として却下されるべきである。

三  被告の本案についての主張

請求原因第1項中、昭和五五年三月一九日当時の宗像町立自由ヶ丘小学校の児童数が八六四名であったことは認めるが、その余の請求原因については全て争う。

理由

一  まず、本件訴えの適否について考える。

本件訴えの趣旨とするところは、要するに、宗像町立自由ヶ丘小学校校長である被告が、昭和五五年三月一九日に挙行された同校の卒業式及び爾後同校で行われる各式典において君が代斉唱を実施させようと計画しているのは、なんら法的拘束力のない「国旗、国歌についての資料」と題する文書に基づくもので、憲法一九条、二〇条、二一条に違反する違法な処分であるから、右計画の取消しを求める、というものであり、これからみるかぎり、本件訴えは、抗告訴訟の一態様である処分の取消しの訴え(行訴法二条、三条一項、二項)として提起されたものと解される。

しかしながら、行訴法三条二項によれば、処分の取消しの訴えとは、行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為の取消しを求める訴訟をいうのであるが、ここに「行政庁の公権力の行使に当たる行為」とは、それがなされることにより、当該行為の相手方ないし第三者の権利義務又は法律上の地位に対して何らかの法的効果を及ぼすものでなければならないと解されるところ、本件訴えの対象となっている君が代斉唱計画なるものは、原告の主張を前提としてみても、小、中、高等学校のいずれを問わず、そこで挙行される入学式、卒業式等の式典における式次第の一部にすぎないものであって、それ自体はもとより、これに基づいて計画どおり斉唱がなされても、そのことによって、原告を始め、当該式典に参列する児童生徒、父兄、教職員、その他の関係者らのいずれの権利義務に何らの変動を生ずるものでないことは、明白なところである。

そうすると、原告の本件訴えは、処分の取消しの訴えの対象となし得るところの、「行政庁の公権力の行使に当たる行為」以外の事項につき訴えを提起していることになるから、行訴法三条二項の要件を充足しているとは、とうてい認め難い。

二  以上によれば、本件訴えにおける昭和五五年三月一九日の卒業式当日の君が代斉唱計画が処分後の事由に該当し、これについての訴えの利益が存するかどうかを論ずるまでもなく、原告の訴えは不適法と言うべきであり、却下を免れないところである。

よって、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 篠原曜彦 裁判官 兒嶋雅昭 石村太郎)

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